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<<<<<< 左大臣助平(スケヒラ)の悩み「会津の田舎相撲」 >>>>>>

 助平はじめその周囲にいる者達に、凡そまともなる感性の持ち主なぞ居る筈もなきことは、今更述べ立てる程の事でもない。

しかしうんざりする程元気の良いご婦人となると、彼の貧弱な計算能力(未だに十本の指を使う)ではとても表現出来ぬ程存在するようだ。

彼女等は全員、オナゴとしての御用納めは、随分と前に済ませたる年代ではあるが、その達者ぶりには助平始め到底男達の手に負えるものではない。

 その一人に園子(えんこ)という、会津の地に生まれ落ち、幼少期を男の子に混じり、鼻水垂らしつつ野山を駆け巡り育ったオナゴあり。

彼女の名を東北地方における、ある山村のジジ様達に発音させると、「雲古」と聞こえるようだが、少なからず年寄りの意地の悪さを感じないでもない。

 男勝りの園子は、ママゴト・お手玉・お人形遊びなど、いわゆるオナゴの遊びには全く興味示さず、ガキ連達に混じり、ベーゴマ・チャンバラ・柿ドロボーなどに夢中だったようだ。

 当時は相撲も大層盛んだったようで、大鵬・柏戸などは老若男女問わず、人気の的であったとか。

そんな時代の影響か、彼等は畑の中で、泥んこになりつつ、横綱気取りで相撲ごっこに精を出し、腹が減ると畑の芋やきゅうりをかっぱらい、洗いもせずに噛りつき、そしてまた相撲。

園子も一緒にさんざ遊び、やがて誰かしらの弟或いは妹の、「あんちゃん御飯だよ」の迎えが来ると、その日の行事は漸く打ち止め、皆一斉に、家に向かって散り散りバラバラ。

夕日背に、あちこち漂う炊ぎの煙かい潜り、家に帰れば、手足の泥だらけはまだしも、ズロース真っ黒、中身もこれまた真っ黒けの泥だらけ。

時として、彼女との喧嘩に負けたガキが、逃げながら腹いせに、「黒パンエンコ」と叫んでいる姿、未だ覚えている当時の仲間が結構居るのが空恐ろしい。

親は呆れつつも「ちんちん忘れて生まれ出た子故、頭の中身は頼りないが、元気であればそれで良し。」と案外ケロリ。

 当時、化学肥料は普及過程であり、主流はやはり堆肥・糞尿、時折鶏糞。夏場の畑は、タメの臭いが当り前。
取っ組み合いが生甲斐のガキ連も、さすがにクサイ畑では相撲もままならず。畦道や草原が専ら相撲の土俵だったようだ。

 季節が代わり、冬ともなれば事情は一変、あたり一面雪景色。田畑には臭いも全くない上、投げられても痛くも痒くもない、絶好の土俵になる。ガキ連、雪土俵の上で、寒さなどもろともせずに相撲ごっこ。

 兎にも角にもクソ元気だけは、彼等全員人一倍。投げられ、雪に顔突っ込み、雪の下の雲古が頭についても、寒さで臭いがせぬ為気が付かず。
家に帰って始めて気付き、母親にケツひっぱたかれても何のその。

 あれから間もなく半世紀。さすがに泥相撲は取らぬが、男勝りは変わりもせず。助平など歯が立つ筈もなく、園子の前では、へたな言動命取りとばかり、終始ただただしおらしき振舞い。
時折「アタシと布団の上で相撲を取るべし」とけし掛けられ、慌てて逃げ出し、他のご婦人連に大笑いされる姿目にするが、助平他男達、哀しいかな彼女に勝てる者誰一人見当たらず。

 上州のかかあ殿下も今は昔。国中どこに行ってもかかあ殿下。いっそ気楽でよいではないか、と飄然と構えているのは、どうやら助平だけではなさそうだ。


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