左大臣助平(スケヒラ)の悩み
「両手に花」
大分昔のことになるが、昭和は四十年代といえば高度成長真っ只中。世は夢と希望と公害に溢れ、そこそこ努力さえすれば、ある程度の夢は叶えることが出来た。
助平やその仲間達は青年期をそんな恵まれた環境の中で、努力という言葉はほとんど意に介さず、およそ考え付くあらゆる悪戯をやりまくりつつ、ただただ突っ走って来たそうな。
当時彼等は決してオナゴにもてた訳ではないが、相手と手段を選びさえしなければ、それでもそこそこもてたようだ。
当時の助平は鼻の下と貧弱な髭伸ばし、居酒屋で気勢上げたる後、調子付いてキャバレーへ。
そこでは当然ながら店のオネーサン達に囲まれ、ベッタリチヤホヤ、その時ばかりは両手に花。大層良い気分になっておったようだ。
と、ある日の昼下がり、何気なく裏通りをぶらぶらと歩いていると、店の裏口からゴミ出しに突然出てきた、目蓋の腫れ上がったスッピンのオネーサンとバッタリ遭遇。
助平、危うくぶつかりそうになり、「オット危ねえー!」叫びつつ思わず相手の顔を見れば中年のシワクチャおばさま。
……何だか見たような、見たことないような!しかし彼女の発するシワガレ声には、確かに聞き覚えがあるような…と思った途端、キャバレーのオネーサンの顔が脳裏に浮かび、突然背筋に寒気が走り抜けたそうな。
以後キャバレー通いは慎み、専らスナック通いに変更したようだ。
ジュークボクスで「遠くへ行きたい」などの流行り歌をしんみり歌い、カウンター越しにママさんと猥雑談に花咲かせつつ角ロックを傾ける姿、傍目には下手な絵のように映ったようだ。これも若さがもたらす僅かな期間の特権であったろうか。
そのような輩も、年を重ねれば一応それなりに落ち着くもの。やがて一人前に孫ができると面白いもので、夫々ジーサマさまらしくなるものだ。
仲間の一人が孫を持つ身になるや、もう可愛くて仕方がないといった体たらく。
それを見せ付けられた他の仲間、「孫如きにヘロヘロになりやがって、それがどーした馬鹿もんが。」と息巻いておったが、やがて当人に孫ができると、たちまち発言撤回。「孫の為なら火の中水の中、オラは何でもやってやる。」と手のひら返す憎らしさ。
そんな連中を横目に助平一人吾関せずと、のんびりおっとり。
ところが先頃嫁いでいった二人の娘からの相次いでお目出度の知らせに、助平夫妻は思わず顔を見合わせ、先ず喜ぶよりもジーさま・バーさまになるということに、どうも今ひとつ実感が湧かぬようだ。
奧方の「何とまあ助平殿がジーさまに」の言葉に「そなたは愈々バーさまか」、「あたしゃ嫌でございます。」「吾もジーさまと呼ばれる程偉くない…」ナンダカンダすったもんだのやりとり。
その最中に助平、ふとテレビの画面に目をやれば、時代劇で幼い子供がはぐれた母を「オッカー・オッカー」と必死に呼んでいる場面。
「そうだ!オトーにオッカーなら、ジー・バーより余程ましであろう。この手でまいろう。」などと孫の話題になる度に悪あがきの日々。
やがて上の娘於まる(おまる)は神無月の間もなく十五夜を迎えようという良き日に、無事男児を授かった。
死ぬかと思うような苦しさの中、やっと産まれ出た吾が子と対面した娘。その顔をよくよく見れば、なんとその顔、何故かガッツ石松そっくり。
余程の事でも驚かぬ娘(別段肝が据わっている訳ではない。ただ感性が鈍いだけのこと。)もこれにはさすがに腰抜かす程に驚愕し、もしや赤ちゃん取り違えたかと、看護士を問い詰めたところ、「本日お生まれになりましたのは、この子だけでございます、時と共に可愛くなります故ご安心ください。」の返事でちょん。
知らせを受けた助平夫妻、ガッツ石松だろうと何だろうと、とにかく丈夫で長持ちならば、あまり文句はなかろうと、生まれた孫を見に、いそいそと産院へ。助平が早速まじまじと見たのは、先ず頭のてっぺん。
娘「何故そのように、頭ばかり見ているのですか。」と訝しげな視線。
助平「いやなに、そのう…この子のツムジが右巻きか左巻きか、少々気になって調べておる。ひょっとして吾が家系に似れば、ちと不都合あろうかと思わぬでもない。」
娘「何とまあ!孫の顔より先ずツムジを見るとは、呆れ返って屁も出ませぬ。」
以下 次号
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