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左大臣助平(スケヒラ)の悩み 「手洟」
手洟をかむという言葉、今時の若者達にその意味は凡そ通じないであろう。
助平がオガキ様だった頃、田舎ではそれは極当たり前に見られた光景であった。
赤城おろしをまともに受け、洟をすすりつつ砂利道を歩く爺様が、背丈程の植込みの前で突然立ち止まり、片方の鼻を指で塞ぎ、やや横を向きつつ、思い切り力を込めチーンとやるのである。
すると見事に鼻汁が一気に飛び出し、手の甲で鼻を拭きつつ、何事も無かったかのように歩き出す。その手際の良さは、実に見事なものであった。
しかし何故か婆様が手洟かむ姿、助平見たことがない。が、聞くところによると、どうやら物陰では負けずにやっていたようだ。
当時の子供達は学校から帰るや、カバンを放り出し、うす暗くなるまで仲間達と外で遊びまくって過ごす。田舎ではそれが当たり前に見られた風景であった。木登り・ちゃんばら・メンコにベーゴマ・柿ドロボー(じゃんけんで負けた奴が、こっそり柿をもいで来るのだが、大方渋柿で、まともに食えないしろものである。)と遊びのネタには事欠かず。
ある日、助平が下校途中に尿意を催し、神社裏手の植込みに踏み込もうとした時、周囲にチラホラ下級生達の姿が見え隠れ。どうやら下手なかくれんぼの最中であるようだ。
助平、植込みの裏に回り込み、遠慮がちに小水をしていると、一人の子が植込みの中にもぐり込み、そのままじっと動かず。
そこへ農作業帰りの爺様が、鍬を担いで通りかかり、突然顔を植込みに向けるや、片方の鼻メドを指でふさぎ、思い切りチーンとやった。黄色の鼻くそ交じりの鼻汁は、実に見事に植込みの中の子供の頭にベットリ。
「うわ〜、きたねー」真に不運なその子は、頭の鼻汁手で払い除けつつ泣きべそ。
当の爺様は口あんぐり、「アリャ、坊主おめーこんな中にいたんか、そりゃすまんかったな。」と言いつつ腰に下げた汗と汚れで薄汚く変色した手拭いで、坊主の頭をゴシゴシ。
当時、このような情景はごく普通に見られたものであり、少々身に覚えのある団塊世代の方々も居られる筈。今は昔、それは昭和の良き時代の、懐かしい風景でもあった。
最近になって助平は、あの爺様の見事な手洟を思い出し、「吾もいよいよあの爺様の年頃になった。一度手洟をかんでみようか。」と、思っておった矢先、花粉を吸い込みクシャミの連発。危うく洟が垂れそうになり、慌てて裏手の垣根に飛んで行き、思い切りチーンとやってみた。
ところが確かに洟は出るには出たがうまく飛ばず、自分の上着にべっとり。おまけに耳の中がボ〜ンと塞がったようになり、暫くそのまま元に戻らず。
古き良き時代の人達は、なんと器用であったかと、しみじみ思う助平であった。
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